私の愛しい男たち ①(舞台『赤シャツ』感想)
赤シャツを観た!観たよー!
Akito Kiriyama of #JohnnysWEST and Sou Matsushima of #SexyZone put a new spin on a classic of Japanese literature with "Red Shirt!" Led by the always hilarious Kiriyama as the titular red-shirted teacher, it retells Soseki Natsume's "Botchan" as a comedy of misunderstandings! pic.twitter.com/Jj5CGgnXyx
— Johnny & Associates (@johnnys) 2021年9月6日
言わずと知れた夏目漱石の名作『坊っちゃん』に敵役として登場する「赤シャツ」を主役に据えた本作。舞台も戯曲も未見だけど、マキノノゾミ作品ということで発表時から本当に楽しみにしていた。
やっぱりマキノノゾミ×宮田慶子の赤シャツだったー!しかも宮田さん演出で。青年座以外でやったことあるのかな?わからないが…楽しみ、楽しみだよ、、おめでと、、
— はちころ (@imaslave_e) 2021年5月29日
マキノノゾミ氏が作演出を務めていた劇団M.O.P.の作品は昔いくつか拝見していて、すごく好きだった。と言っても公演を生で観たのは、最終公演の『さらば八月のうた』(2010)だけなんだけど。(あまりにキムラ緑子氏が素晴らしくて、なけなしのお金で当日券3回くらい並んだかな。もっとほかの公演もたくさん観に行っておけばよかったと悔し泣きしながら観た記憶。)
ハイパー余談だが、劇団M.O.P.で特に好きだったのは『オールディーズ・バット・ゴールディーズ』(2003)という作品で、CSで放送されたものを観た当時FJK(ファッキン田舎住み女子高生)の私は、客演の山内圭哉氏に一目惚れしてしまった。本当にかっこよかった。髪は地毛だと思っていた。
そこから十余年の時が流れ、山内氏は桐山照史氏と『あさが来た』『HOPE〜期待ゼロの新入社員〜』で共演するに至ったため、桐山照史meetsマキノノゾミというのは私のための座組だと思った。2人をつなぐ呪文ヤマウチタカヤマウチタカヤ。存在しない点と点を勝手につなぎ合わせてウホッ縁がある~とか言ってるだけなので誰にも伝わらないのだが。これだからオタクって嫌よねぇ。
そんなわけで期待値上がりまくり勝手にハードル上げまくりの赤シャツ。
ですがまずは観劇前に坊っちゃんを読み返すところから。
⚠️以下、坊っちゃんのネタバレあり⚠️
(坊っちゃんにネタバレも何もあるか!と言われそうだけど、赤シャツなら書くと思うわけ。)
学生時代に読んだ際もおもしろいと思ったけど、改めておもしろかった。というか昔よりもっとおもしろく感じた気がする。比喩じゃなくほんとにゲラゲラ笑ってしまうから、家でしか読めないくらい。
無鉄砲というのが、行動だけでなく文体からあふれ出ていて3150!
ワンセンテンスが短くてせっかちなのがよくわかるし、何に対しても感想に迷いがなく歯切れが良いところにしびれる。身も蓋もない物言いがクセになって、もっとほしくなって、ページをめくる手が止まらなくなるのだ。まあiPhoneで読んだんだけど。
特に大きな変化だと感じたのが、坊っちゃんを「あなたは真っ直でよいご気性だ」と褒めた下女・清の気持ちが少しわかるようになったことだ。
昔は変わったお婆さんだとしか思っていなかった。坊っちゃんに肩入れしすぎていて、薄気味悪い感じもしていた。それは私が坊っちゃんをあまり評価していなかったことの表れでもある。
大人になればなるほど、真っ直ぐ、裏表なく、自分の思うままに生きるということがどれだけ値打ちのあることかわかってくる。
だが坊っちゃんにも、その天賦の「ご気性」が曲がってしまうような局面はいくつもあったろう。それでも支柱のように寄り添い、褒めそやし、坊っちゃんがそのまま真っ直ぐ成長するのを助けた清マジリスペクト。
それに清としては坊っちゃんがかわいくて仕方なかったのだと思う。息子のように世話をしてきたということはもちろんあるが、向こう見ずで不器用で生意気だけど心根の素直な若者というのは本当にかわいい。
たびたびトラブルに見舞われるのも、赤ん坊が転んで泣いてを繰り返しながらよちよち歩きしているようでとんでもなくかわいい。かわいすぎて笑いが止まらない。ギャハハハ(本当にこういう感じで読んでた)。
そんなふうに坊っちゃんをエンジョイしていた私だけど、どうにも腑に落ちないことがあった。それはしばしば赤シャツが、坊っちゃんの「敵」だと説明されることだ。
たしかに坊っちゃんは赤シャツに対して猜疑心を持ち、折につけ不快感をあらわにし、最終的には天誅をくだすのだけれど、本当に敵という表現が相応しいのかは疑問だ。『坊っちゃん』の紹介にはよく「痛快」という言葉が使われるが、あくまで坊っちゃんの「ご気性」が痛快なのであって、天誅そのものにはなんのカタルシスも感じない。そもそも天誅という表現にも違和感を覚える。
そんな赤シャツ目線で描かれる物語はどんなものなのだろう?
とここまで書いたところでめっちゃ疲れたので続きはまた次回。
余談ばかりで回り道して、まだ池袋駅構内から出られていない気分だと思うが許してほしい。いけふくろうで待ち合わせしたのに肝心のいけふくろうがまったく見つからなくても許してほしい。(いけふくろうを待ち合わせ場所にしてはいけない)
えー、次でやっと東京建物 Brillia HALLの入口が見えてきますよ〜〜!みなさーーん!こちらでーーす!
②につづく。(たぶん)